相手は鏡理論

って。理論か分かりませんけど。

気分が落ちてきたので、瞑想というほどでもないのですが、簡単にイメージしながら身体動かしてました。いい感じです。やはり体は動かしてやらんと。

しかも結構メッセージが降りてきます。

多分、普段からメッセージやサインは溢れてるのだと思いますけど、体をクリアにすることで、やっと気付けるのかなと思います。

相手は自分の鏡。というよく聞くやつです。

自分の中にあるから、相手がそれを映し出しているというのもありますけど、別の観点からわたしなりの考えを分かりやすく書いてみます。

まず。相手がいて。ある出来事が起こって、相手に対してどう思ったか。

例えば、マイナスイメージの場合。

ひどい人だ。なんでそんなことが出来るんだろう。

ここで注目するのは相手がどういう人、なのではなく。あくまで自分がどう思ったか、ってことなんですね。

その相手と関わったことによってどんな感情が湧いて、どう思ったのか。

極論、相手がどんな人かはどうでもよくって、それによって自分のどんな一面を知ることが出来たのかっていう。

例えば、わたしならそんなことは絶対にしない、なら → 自分には非常に正義感が強い一面があるんだな、とか。

多分こっちが大事だと思うんですね。

マイナスばかりではなくって、プラスの時もあります。

なんでこの人ここまでしてくれるんだろう。ありがたいなーとか。

これはこれで気分は上がって心地よいのですけど、どちらが自分を成長させてくれるのか、と考えるとやはり前者なんですよね。

そう考えると、人と接するほど、その度に沢山の感情が湧き、結局は自分のことをより知っていくことになるという。

結局、やはり自分なのだという。

だから人と関わるほど成長するんだと思います。

もちろん自分に向かった場合です。

相手を責めるだけで、相手のせいにしてるうちは外側に意識が向いてる状態。

これをぐいっと内側に向ける。

認めたくなくて、目を逸らしたくて、うっ!とくる時もありますが、内側に意識を向けるというのはそういうことなのだと思います。

そこまで深い付き合いでない場合、相手のせいにして終えることは出来ますが、出来ない場合、執着がどうしても強い場合、は、やはり何かしらの強いご縁があるのだと思います。

その相手だからこそ、なかったことに出来ない、向き合わざるを得なくなる。

自分の何かを手放すため、気付くため、に出会うのでしょう。