先日、娘と公園にいたときのことです。
三歳くらいの女の子が大きな遊具の上を歩いていました。
よくアスレチックにあるような頑丈なロープを網状にしたものです。
わたしは下にいたのですが、その子が上がるにつれ「怖い」と言い出して、次の瞬間、足を踏み外し、ほぼ体の半分が下に落ちた状態になりました。咄嗟に手を出し、下からがっしり掴んで「大丈夫?怖かったね」と声を掛けました。
その子の両親も一緒にその遊具を昇っており、ママさんも同じように「怖い」と言い出していたのを聞いてました。
で。その子が半分落ちかけたと同時に、上にいたパパさんが、さっと下に降りてきてたのを視界でキャッチしていたので、その後パパさんの手が伸びてくるのを待っていました。湿り気のあるオムツを片手に。。。が。一向にパパさんの手が伸びてこない。そういや、何の言葉も聞いてないな。ママさんからは小さく「すみません」と聞いていました。
振り返ると、そのパパさんが、何勝手なことしてくれとんねんバリに半睨みをきかせてたのですね。こわ。
わたしは、女の子が落ちてしまわないか確認しながら恐る恐る手を放し、「どうぞ」と言葉を添えて差し出す素振りをしました。
もちろんわたしには何の言葉もなく、その女の子に何やら声を掛けていました。そこから自力で這い上がれ系??なのかよく分かりませんけど。
わたしは良いことをしたと思っていたので、そのパパさんの態度にまずは怒りが出てきました。
育て方はもちろん人それぞれだろうけど、あの場合はまずは「ありがとう」か「すみません」かでしょう。
余計なことをされたとして、それに対する苛立ちがあったとしても、相手が善意で出た行動なら、百歩譲って言葉はなくともそれに対して睨みを利かす必要がどこにある?と。こっちまでムカー!ときました。
ほんと頭にきたので、考えるのも馬鹿らしく、一連の出来事を頭から追い出そうとしていました。
ですがふと考え直し、あえて向き合ってみることにしました。もちろん全く気持ちが良いものではありません。
わたしはとても傷付いていたのでした。大打撃をくらってたのです。それに気づいた時、自分に寄り添おうと思いました。
まさにヒプノで勉強でしてることでした。ここまで掘り下げないと気付けませんでした。改めて日常に活かす。

その後気付いたことです。
その出来事の数日前に、とあるワークショップに参加していました。その場がとても心地よく、その頃はハートチャクラが全開だったことも考えられます。
そうか。ハートを開くということは優しさに溢れる反面、相手の対応をまともに受けるので、傷付く度合いも上がるのだなと思いました。逆もまた然り。
優しい人が傷付きやすいとはよく聞きます。
チャクラ視点で考えるときっとそういうことなのでしょうね。