ないものねだり

昨年まであることに執着していました。

執着というと、なんか言葉が悪いので集中(笑)

これまでは、そういった事柄はプライドもあったり、恥ずかしいことのように思い、心の中に押しとどめていたのですが、昨年は公言していました。

他の人の意見を聞きたかったから。他の人との違いを知りたかったから。

その時にしか出来ないことがあるのだから、と別の視点からのアドバイスも受けて頷きはするものの、でも、その人はわたしの立場と違うしな、と、どこかでどうしても思う。

大きな視点から見れば小さなこと、でもわたしにとっては大きかった。

だから、流すことなく、執着、もとい集中してみようと思った。

器の小さい人、と思われても別にいい。

今となって思うこと。結局ないものねだりだった。

そして、皆それぞれないものねだりをしながら、それで悩んでいたり、見て見ないフリをしてみたり。

同じものが”ない”と思ってる人にはとても共感するし、とても気持ちが分かる。

でも、やはり、皆それぞれ違っていた。

結局は、皆がないものねだりしていた、そこに気付いた。

そしたら、皆違ってるけど、皆一緒なんだな、って思った。

お風呂で、”ある”に意識が向いた。”ある”ということに。

なぜ、これまで向けられなかったんだろう。

”ない”の数だけ”ある”もある筈なのだ。

なぜ”ない”だけ”に意識が向かうのか。

操作されてたたのかもね。わたしたち。

ってふと思った。