ハイアーセルフと繋がったときのこと

どなたかの参考になればと思い記すことにします。

とってもとっても落ち込んだ時期がありました。自分の中では数年単位で熟考した上に行動したつもりで、人生かけるくらい思い入れがかなり強かったことです。それが結局は上手くいかず、全て自分の勘違いだったと認めた瞬間でした。

徹底的に自分を責めました。わたしにとってはそれが普通。今までもずっとそうしてきました。何か問題が起こればいつも自分を吊し上げて、徹底的に痛めつけてきました。

その時もとことん痛めつけてから、ふて寝しようとしたところ、ふと気が変わりました。

たまには自分を労ってみようかな、と。

痛めつけ作業も、その時は全部紙に書き殴っていました。それがふと、その時は、自分に対して労いの言葉でもかけてみようかと思ったのです。

勘違いだったとはいえ、ずっとずっと自分は頑張ってきた、それを知ってるのも自分しかいない。

紙に書き出したところ、どんどん言葉が溢れてきました。どれも愛に満ちた優しさで溢れていました。泣きました。自分に対して謝りました。そして初めて自分のことが大好きと言えました。

この時の視点は、いつもの自分ではなかったです。ずっと上の視点。ハイアーセルフの視点なのだと思います。ハイアーセルフに繋がると、自分なんだけれど、普段の自分ではない、もっとずっと広い視野を持った自分。なので、普段のいつも知ってる自分を客観的に捉えることが出来ます。だから、自分大好き、と言えます。自然です。あまりにシンプルでこんなあっさりでいいの?と思いました。自分も含めたこの世の全ての人、物が愛おしくなります。

今感じている自分、それだけが自分なのではないということ。もっとずっと上の視点で見てる自分も存在してるのだ、ということ。それも含めての自分。それがハイアーセルフと繋がるということ。

あんなにどん底に落ちたのに、あんなに下にいたのに、一気に上がりました。

とても落ちた分、分かりやすかったのだと思いますが、常にずっと近くにいるもんらしいです。

また日常に戻ると、ふつーですけどね。。

自分を好きになりたい → なれない

どうしたら?と思いますけど、ハイアーセルフの視点に立ったら誰でも自分大好きになります。

なので、なんというかそこはそんなにこだわらなくてもいいように思います。

調子のいい時の自分は、まあまあ好きになれても、悪い時の自分って大っ嫌いになりますよね。こてんぱんに叩きのめしたくなりますよね。(わたしがそうでした笑)

その自分を吊るしあげて、叩きのめして責めまくりたい(結構散々)、その時こそ自分の味方になるんです。

そうすると自分が喜ぶんですね。

なんか自分であって自分でないような書き方になってしまってますけど、どうやらわたしたちは幾つもの視点を持ってるようです。

いつもより上の視点の自分が出てきたら、自然に自分も周りのみんなも大好きになります。

ちょっと馴染みないので変な感じなんですけど、でもやっぱり自分なんですね。

新たな自分がこんにちは♪て感じですかね。